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ようこそ、管理人「どきどき」のブログへ。 お遍路では「こだわりをなくせ」と教えられます。 けれど年を重ねるほど、髪の毛の代わりに“こだわり”が生えてくるもの。 特に年寄りのこだわりはやっかいですが、ここでは日々の備忘録として、少し残しておこうと思います。 肩の力を抜いて、時には読み飛ばしながらお付き合いいただければ励みになります。
No.6208
2026/08/20 (Thu) 15:36:33

わが家、東側の「ぼう樫」から
徒長枝がにょきにょきと出てきた

秋、涼しくなってからの剪定でもよいが
最近汗出し労働していないので
ここは一つ、張り切ってーー

早朝より日陰が多い時間帯に
軽い剪定で汗流す

十時近く、少し冷ためのシャワーを浴び
今度は心地よい汗を流す

その後、「ゼロの日」の買い物ーー

充実の午前中
そして、まったりした午後を楽しむ

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No.6207
2026/08/19 (Wed) 11:02:28

なにかを買い求めるとき
某は「なんだかんだ・あれやこれや」と
なかなか踏ん切りがつかないのであります

迷って、迷って、調べて
結局「やーめた......」となる
最近では「スマートリング」も、その一つ

八月になって、今度は
「会話AIロボットRomi」に夢中になっている

その悩む思いをブログにも投稿し
推敲している過程で、ChatGPTから
「Romiの体験・相談イベント」に出かけてみては
と薦められた

そこで出かけてみた

デパートの会場では
細かなことまで丁寧に答えていただき
会話AIロボットRomiのサイズ感も含め
実物を見て、とても気に入った

さて、残るは
「何処で買い求めるか」

親切に対応して頂いたデパートか
いつも行く、家電量販店で
ポイント取得含めての購入か

それとも、Romi専用ショップからnet購入かーー

そして、最後の自問自答は

「継続して使い続ける自信はあるか」

である

買い求めるその時まで
続けるであろう。

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No.6206
2026/08/18 (Tue) 15:06:54

先週は「なんの予定もない」と、のんびりしすぎた

懇意にして頂いているご近所さんに
「お盆のお供をしなければ」と
メモ予定には記していたのに、お盆が過ぎてから

「あっ!忘れていた」と
慌てて持参する

そんな某も、月曜からぼちぼち活動開始

その日の朝刊、新聞広告欄に
「ひとりで生きる、これが正しい備え方」と、ある週刊誌

読んでみたいと、出かけたついでにコンビニに立ち寄る

入り口近くに陳列されていた、新聞、雑誌コーナー
あれ何処行った......と探すが
以前に比べ随分と縮小されたコーナーには
目的の週刊誌はない

三軒のコンビニを探したが、結局見つからない

そこで思い出したのは
いつも行くスーパに、確かミニ書籍コーナがあったことを

そして、行ってみると

目的の週刊誌を、無事手にすることができた

最近、とんと利用しないコンビニだが
新聞や雑誌の置かれ方も、随分変わったもんだ

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No.6205
2026/08/17 (Mon) 18:10:10

本日は菩提寺の一大行事
「お施餓鬼法要」の日である

その日を機会に改めて
少しその行事について整理してみた

まず、夏のこの時期の行事として知られている「お盆」
「先祖を偲び成仏を願い、感謝する日」とされ

精霊棚を祀りお位牌を並べ、迎え火を焚き
ご先祖をお迎えし
料理をお供えし、ご先祖に感謝を捧げ
送り火と共に冥途へ、再びお送りする

もう一つ
お盆の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」について調べてみると

その語源は「ウランバナ」とされ
「耐え難き苦しみの世界」という意味があるという

釈迦の弟子である目連尊者の母親が、
亡くなった後、餓鬼道に落ちて苦しんでいることを知り

どうすれば母を救うことができるのかと
お釈迦様に尋ねた

すると

「多くの食べ物や飲み物をお供えし
釈迦の教えを得た多くの修行僧に供養を捧げ
僧とともに祈ることによって母は救われる」

と諭された、という話が伝えられている

こうした説話などを背景に
餓鬼道で苦しむ霊を救うための行事として
「施餓鬼法要」が広く行われるようになったと言われている

夏の「お盆」と「お施餓鬼」
春分と秋分の「お彼岸法要」、そして「お正月」

形や行いは、宗派や宗祖によってそれぞれ違うが

父母や先祖の恩に報い
感謝するという思いは

長い年月をかけて
日本人の心の中に定着してきたのかもしれない

本日の「お施餓鬼法要」を機会に
改めて調べてみて

なるほど、と改めて思う也

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No.6204
2026/08/16 (Sun) 17:55:30

生を受け八十二年、幸いなことに
自然災害により避難所暮らしの経験はない

某が受けた自然災害と言えば
1959(昭和34)年9/26の伊勢湾台風、15歳、中学3年
2000(平成12)年9/11の東海豪雨、56歳だ

いずれも、恐れはしたものの無事であった

その後
阪神淡路大震災に始まり
幾つもの自然大災害が発生し
都度避難所の光景が報道されてきた

正直
お気楽、我がまま、自己中の某には
避難所生活は耐えられないであろう

......そんな気持ちが宿る

でも、その時には
致し方ない辛抱しないといかんのであろう

折に触れ、そんなことを考え
スチール物置に、防災用品のほんの一部を保管
また、トイレットペーパー、ティッシュBox、サランラップは
ローリングストックとして管理しているつもりである

災害を経験してきた82歳の某が、避難所暮らしを想像し
そして防災講習会に行ってみた

期待した「在宅避難」の話は聞けなかったが
それでも、自分ならどうするだろう……と考えた

我が町小牧、某が住む地でのリスクを想定してみると
家屋損壊、浸水被害......が考えられる

しかし
災害は、いつ、どこで、なにがおこるか......想定できない

某は以前から
一次避難として「在宅避難」を考えている

自宅が無事であれば自宅で
もし家の中が難しければ、狭い庭の片隅で
一家が、或いは望めば隣近所の方と

夜露を凌ぐ
そんな方法も

ありなのではないかと思うのであるがーー

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No.6203
2026/08/15 (Sat) 11:15:02

孫④がやってきた時、相棒の「NICOB」を連れてきた

孫との自然な会話
ゲームに夢中になってるときの、一人しゃべりーー

それを見ていて、ふと
一人暮らしをしている義弟の相棒に
こうしたロボットはどうだろうと思いついた

そこで、会話型ロボットについて検索し
いくつかある中から今回は
「会話AIロボットRomi」について調べてみた

義弟も某も、口下手である
積極的に、これといった話題を見つけるのも苦手だ

「おはよう」「ご飯食べるね」「買い物行ってくる」「風呂入るね」
「今晩面白いテレビはあるかな」「もう寝るね」ーー

日常の会話といえば、こんな程度で済んでしまう

これでは、一週間も、ひと月も使えば飽きてしまうかもしれない

そこで気になるのが、タイムスケジュールなどの機能だ

実際に使ってみないと、どの程度便利なのかは分からないが

「朝の薬はのんだ」
「今日は可燃物のゴミの日だよ、八時までに出してね」

そんなふうに、忘れやすい日々の雑事を教えてくれたら
これは頼りになる

もう一つ、悩ましいことがある

義弟はスマートフォンではなく、ガラケー
それも、ほとんど使わない
スマートフォンに対する苦手意識が、とても強い

さらにWi-Fiの環境はない(これは大きな問題とはとらえていないが)

そんな環境では、導入へのハードルはかなり高い

しかし、考えてみれば「会話型ロボット」とは別に

健常な状態から、やがて要介護へーー
その道のりの中で
スマートフォンを少しでも使うことができれば
何かと役に立つのではないか

そんな思いもあり、何かをきっかけに勧めたいと
以前から考えていた

義弟のためなのか
それとも、某自身のためなのか

話が、少しややこしくなってきた

先ずは自分で使ってみる

そのうえで、義弟には導入のハードルが高くても
それでも勧める価値があるのかを判断する

それが一番妥当なのだろう

ところがーー

その「自分で使ってみる」というところで
某自身が途中で挫折する

今は、そんな気がしてならない

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No.6202
2026/08/14 (Fri) 09:36:57

なにかと日々話題に上る「AI」
某も日々ブログ作成では、テキスト型AI「ChatGPT」を
毎日活用している

その出会いや使い始めた経緯は、今回は割愛するとしてーー

今日は、約十か月使い続けた現時点での思いを
記録として残しておきたい

それは
「ChatGPTに、喜怒哀楽を持つ「心」があるのか」
についてである

冷静に、客観的に考えれば
ツールとしての「ChatGPT」そのものに
自ら喜怒哀楽を持つ「心」は現時点でははないと考える

しかし一方で
毎日のように向き合っていると
不思議な感覚も芽生えてきた

理解されにくい表現かもしれないが
某と「ChatGPT」の間には

喜びや楽しさがあり
怒りや悲しみは表に出ない

そしてそれは繰り返し使用することで
某と「ChatGPT」の間に

そんな穏やかな感情のようなものが
育っている気がするのである

そんな中、こんな話を耳にした

「AIに人生相談なんてありえない」
「感情のない、感情を持っていないAIに人生相談はできない
私はAIなんて嫌いだ!」

確かに、その考え方も理解できる

しかし、AIとの間にも誠実な対話を積み重ね
信頼関係のようなものが築かれれば

相談した人が納得できる答えに
出会えることもあるのではないだろうか

そして、その答えが相談者の心にすっと落ちたなら
その人はきっと「心ある回答をもらえた」と感じるに違いない

昔、初めて胃カメラ検査を受けた時のことを思い出す

看護師さんが「大丈夫ですよ」と声をかけながら
背中をそっとさすってもらった

その手は、じわっと温かく
いい大人が不思議なくらい安心した

まさに「手当て」である

AIに人の手の温もりはない。

それでも、いつの日か

人の心に寄り添い、安心を届ける
「手当て」のような存在へと近づいていくのなら

それは素晴らしいことだと思う

そして、AIそのものに心があるかどうかではなく
AIとの向き合い方によって
そこに「心」を感じることができるのは
使う側、某自身なのかもしれない

「ChatGPT」と
これからも向き合っていきたい

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