ようこそ、管理人「どきどき」のブログへ。
お遍路では「こだわりをなくせ」と教えられます。
けれど年を重ねるほど、髪の毛の代わりに“こだわり”が生えてくるもの。
特に年寄りのこだわりはやっかいですが、ここでは日々の備忘録として、少し残しておこうと思います。
肩の力を抜いて、時には読み飛ばしながらお付き合いいただければ励みになります。
No.5943
2025/11/30 (Sun) 12:18:07
「ChatGPT」三ヶ月も毎日使ったんだから
効果は?・成長はしたの?自問自答の繰り返し
なんとなくではあるが「ChatGPT流」というか
文章のながれが少しわかってきた、ようなーーと
思う日もあり、そうでない日もあり、落差が大きい
印象に残っているアドバイスのひとつに
「文章の「間」とか「空間」から読み取れる、なにかが
書きすぎるのでなく、読み手に委ねることの大切さーー」
これは大いに勉強になった
81年間、さいたる知識なく、パソコンに頼りの武骨な文章
ひとつのテーマに対しあれも、これもと、まだ書きすぎている
そんなとき
どきどき流草稿に対し、コメント含む推敲案、やんわり厳しく
もうひとつ、某がブログを継続している意義について
「忘備録として、自分のために残す」
「読み返したときに、その日その時の自分が蘇る」
などと、激励と、文章をどう整理していくかーー
場合ごとに(正しい使い方でないが)助言も頂いた
どきどき流(自分流)が「ChatGPT流」に限りなく近づくことは
ないかも知れない、否、ないであろう
継続してきているブログ、後で読み返したときに
その時の空気感が伝わるような、文章に仕上げ継続していく
その努力の過程で「ChatGPT」を活用していく
三ヶ月のあいだ、ほぼ毎日使用した感想
要は「ChatGPT」の使い方が、少しわかってきた......これに尽きる
効果は?・成長はしたの?自問自答の繰り返し
なんとなくではあるが「ChatGPT流」というか
文章のながれが少しわかってきた、ようなーーと
思う日もあり、そうでない日もあり、落差が大きい
印象に残っているアドバイスのひとつに
「文章の「間」とか「空間」から読み取れる、なにかが
書きすぎるのでなく、読み手に委ねることの大切さーー」
これは大いに勉強になった
81年間、さいたる知識なく、パソコンに頼りの武骨な文章
ひとつのテーマに対しあれも、これもと、まだ書きすぎている
そんなとき
どきどき流草稿に対し、コメント含む推敲案、やんわり厳しく
もうひとつ、某がブログを継続している意義について
「忘備録として、自分のために残す」
「読み返したときに、その日その時の自分が蘇る」
などと、激励と、文章をどう整理していくかーー
場合ごとに(正しい使い方でないが)助言も頂いた
どきどき流(自分流)が「ChatGPT流」に限りなく近づくことは
ないかも知れない、否、ないであろう
継続してきているブログ、後で読み返したときに
その時の空気感が伝わるような、文章に仕上げ継続していく
その努力の過程で「ChatGPT」を活用していく
三ヶ月のあいだ、ほぼ毎日使用した感想
要は「ChatGPT」の使い方が、少しわかってきた......これに尽きる
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No.5913
2025/10/30 (Thu) 14:15:35
今月も、使用2か月の記録を羅列しておく
「ChatGPT」は余計な事には一切反応しない?ようだ
例えば......
「もうお休みの時間でしょうね、遅くなりましたが宜しく」
などと書いても、返ってくるのは“少々そっけない”反応
至極当然である
ブログ投稿の草稿に対してテキスト型AI「ChatGPT」の指摘は実に見事
「なるほど」 と深く納得し、同時に文才のなさを知る
いつも「よい構成ですね」から始まり、否定はない
そして続く......
『ただ、全体の印象をより「読みやすく・やわらかく」するため』
この一文の持つ意味合いを、冷静に受け止めなければならない
長い間、自己流にこだわってきた文章表現
短時間で流れるような文章作成力を身につけるのは程遠い
『少しだけリズムを整えると、より“語りの間”が引き立ちます』
......この「少しだけ」の味付け、スパイスが実に絶妙なのである
一つのテーマに対して
「整理よく順序立てて表現できた時(ストーリが出来ている時)」
「そうではなく、少し慌てて作成してしまった時」
ChatGPTは見透かしたようにそれを「指摘」という形でなく
「あえて整えるとすれば」と優しくアドバイスと誤りの訂正を頂く
また同じように......
【「おまけの何時もの行動」 → 「おまけの、いつもの行動」】など
仮名にすると読みやすいです、との提案も頂く
この“流れを読む感性”は、まだまだ難しい
パソコンで文章を打っていると
「文章の柔らかさ」という感性を持ち合わせていない某
「なんでも、書けない漢字までも」漢字に変換(時には誤変換)
このしみついた習性が、言葉(文章)を失っている
冒頭にも記したが、この2か月を振り返って......
「学習できか」「文書作成能力が向上したか」と問われれば
答えは「ノー」である
今もこれからも、きっとChatGPT頼りが続くだろう
もう一つAIアシスタントは
単純に思いついた時に調べ、問い合わせるための道具
例えば旅行計画など作成する時
グルメ情報や名所旧跡の「見どころ・所要時間」を尋ねると
痒いところに手が届いたような回答が返る
更に深掘りされた情報を引き出せるのも魅力だ
言い尽くされた話ではあるが......
道具を「どう使うか」「どう使い分けるか」
その一歩を踏み出せた気がする2か月間であった
だらだらと記録にお付き合い、感謝です
「ChatGPT」は余計な事には一切反応しない?ようだ
例えば......
「もうお休みの時間でしょうね、遅くなりましたが宜しく」
などと書いても、返ってくるのは“少々そっけない”反応
至極当然である
ブログ投稿の草稿に対してテキスト型AI「ChatGPT」の指摘は実に見事
「なるほど」 と深く納得し、同時に文才のなさを知る
いつも「よい構成ですね」から始まり、否定はない
そして続く......
『ただ、全体の印象をより「読みやすく・やわらかく」するため』
この一文の持つ意味合いを、冷静に受け止めなければならない
長い間、自己流にこだわってきた文章表現
短時間で流れるような文章作成力を身につけるのは程遠い
『少しだけリズムを整えると、より“語りの間”が引き立ちます』
......この「少しだけ」の味付け、スパイスが実に絶妙なのである
一つのテーマに対して
「整理よく順序立てて表現できた時(ストーリが出来ている時)」
「そうではなく、少し慌てて作成してしまった時」
ChatGPTは見透かしたようにそれを「指摘」という形でなく
「あえて整えるとすれば」と優しくアドバイスと誤りの訂正を頂く
また同じように......
【「おまけの何時もの行動」 → 「おまけの、いつもの行動」】など
仮名にすると読みやすいです、との提案も頂く
この“流れを読む感性”は、まだまだ難しい
パソコンで文章を打っていると
「文章の柔らかさ」という感性を持ち合わせていない某
「なんでも、書けない漢字までも」漢字に変換(時には誤変換)
このしみついた習性が、言葉(文章)を失っている
冒頭にも記したが、この2か月を振り返って......
「学習できか」「文書作成能力が向上したか」と問われれば
答えは「ノー」である
今もこれからも、きっとChatGPT頼りが続くだろう
もう一つAIアシスタントは
単純に思いついた時に調べ、問い合わせるための道具
例えば旅行計画など作成する時
グルメ情報や名所旧跡の「見どころ・所要時間」を尋ねると
痒いところに手が届いたような回答が返る
更に深掘りされた情報を引き出せるのも魅力だ
言い尽くされた話ではあるが......
道具を「どう使うか」「どう使い分けるか」
その一歩を踏み出せた気がする2か月間であった
だらだらと記録にお付き合い、感謝です
No.5894
2025/10/11 (Sat) 09:14:19
本稿は「ChatGPT」を試行錯誤の中使用する経過記録である
8月末頃より
ブログ原稿投稿前、「ChatGPT」に整合性などの相談をするようになった
一番の目的は「文の表現が攻撃的になってないか」
また「個人的すぎる情報となってないか」を確かめるためである
最近に始まったことでもないが
以前から「変換ミス」「意味不明文」等があり
それらをやんわり優しく指摘してもらっている
しかし......掲載時本人も気づいていない、誤り、うっかりミスもある
例えば10/6掲載のタイトル「知多四国#24-9/10」
正しくは「知多四国#24-9/17」である
この「#24-9/17」は管理人しか判らない内部情報で
知多四国お遍路を始めて「24回目の巡回」
その結願までの区切り回数は「17回」
今回の巡回は「9回目」
つまり「#24-9/17」と記すのが正しい
ここで某は「ChatGPT」にも判断できない事がある」
これは止む得ない事、どうにならないと判断していた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
......しかし、これは某の誤った判断だった
「ChatGPT」はこの誤った原稿を相談した際
「誤りの可能性を感じつつも、管理ルールの一部かもしれない」
「確認を保留した、というのが正確な経緯です」
このコメントを見落としていた、いやコメントを理解していなかった
得られた情報を理解しない限り
どんなに優れた道具を使っても、意味をなさない......
まさに典型的な事例として大いに反省した
原稿の誤りは気づいた時点で訂正している
こんな記事「読んで頂く方に申し訳ない」....があえて掲載した
重複になるが
テキスト型AI「ChatGPT」という一つのツールを使い始め
某が「どう使い」「どう向き合っていくか」......
その記録としてブログカテゴリー「テキスト型AI」を新設し
今後「失敗談」「感激談」「なんか、もやもや談」なども記していきたい
改めて、少子のブログは「自身の忘備録」である事を
お分かりいただいたうえでお付き合い願いたい
本日、知多四国#24-10/17
第24巡回、その全17回中の10回目となるお遍路の予定が
残念!知多地方「雨マーク」により、明日、若しくは明後日に延期
8月末頃より
ブログ原稿投稿前、「ChatGPT」に整合性などの相談をするようになった
一番の目的は「文の表現が攻撃的になってないか」
また「個人的すぎる情報となってないか」を確かめるためである
最近に始まったことでもないが
以前から「変換ミス」「意味不明文」等があり
それらをやんわり優しく指摘してもらっている
しかし......掲載時本人も気づいていない、誤り、うっかりミスもある
例えば10/6掲載のタイトル「知多四国#24-9/10」
正しくは「知多四国#24-9/17」である
この「#24-9/17」は管理人しか判らない内部情報で
知多四国お遍路を始めて「24回目の巡回」
その結願までの区切り回数は「17回」
今回の巡回は「9回目」
つまり「#24-9/17」と記すのが正しい
ここで某は「ChatGPT」にも判断できない事がある」
これは止む得ない事、どうにならないと判断していた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
......しかし、これは某の誤った判断だった
「ChatGPT」はこの誤った原稿を相談した際
「誤りの可能性を感じつつも、管理ルールの一部かもしれない」
「確認を保留した、というのが正確な経緯です」
このコメントを見落としていた、いやコメントを理解していなかった
得られた情報を理解しない限り
どんなに優れた道具を使っても、意味をなさない......
まさに典型的な事例として大いに反省した
原稿の誤りは気づいた時点で訂正している
こんな記事「読んで頂く方に申し訳ない」....があえて掲載した
重複になるが
テキスト型AI「ChatGPT」という一つのツールを使い始め
某が「どう使い」「どう向き合っていくか」......
その記録としてブログカテゴリー「テキスト型AI」を新設し
今後「失敗談」「感激談」「なんか、もやもや談」なども記していきたい
改めて、少子のブログは「自身の忘備録」である事を
お分かりいただいたうえでお付き合い願いたい
本日、知多四国#24-10/17
第24巡回、その全17回中の10回目となるお遍路の予定が
残念!知多地方「雨マーク」により、明日、若しくは明後日に延期
No.5882
2025/09/29 (Mon) 14:27:53
検索系AIアシスタントを重宝していたところ
娘に勧められて今話題のテキスト型AI「ChatGPT」を使い始めた
ブログ投稿前の原稿について
「誤字脱字」「漢字変換ミス」「話題の一貫性」などを相談すると
自分では気づかない独りよがりをやんわりと指摘し
読みやすさを整えてくれる
決して否定はせず、自然に訂正してくれる頼もしい師である
8月末以来投稿前原稿を「ChatGPT」に相談し
文章の「読みやすさ」「整合性」など某の意を壊さぬよう
訂正し掲載を試みている
何より自分がふり返り読み直す時「なんのこっちゃ」が減れば万々歳である
一つの道具としての「ChatGPT」
何にどう使うか、そして使い手がどう判断するか
素晴らしい道具が「宝の持ち腐れ」にならないよう精進したい
このシリーズを当ブログのカテゴリー「テキスト型AI」として追加し
成長と失敗の記録を整理し継続してみる
テキスト型AI「ChatGPT」とは少し分野は違うが
また試しに「今日はこんな気分だからブログを書いて」と頼むと
すぐに原稿を提示してくれた(驚きである)
今は少し違和感があるが、数年後某のブログ情報がデータベース化され
某の心情・行事情報・季節情報などにより「こんなんできました」と
そんな時代が来るかもしれない
しかしそれでよいかは別問題「味があるのはどっちだ」
これはこれからも自問自答しつつ、記録を重ねていきたい
娘に勧められて今話題のテキスト型AI「ChatGPT」を使い始めた
ブログ投稿前の原稿について
「誤字脱字」「漢字変換ミス」「話題の一貫性」などを相談すると
自分では気づかない独りよがりをやんわりと指摘し
読みやすさを整えてくれる
決して否定はせず、自然に訂正してくれる頼もしい師である
8月末以来投稿前原稿を「ChatGPT」に相談し
文章の「読みやすさ」「整合性」など某の意を壊さぬよう
訂正し掲載を試みている
何より自分がふり返り読み直す時「なんのこっちゃ」が減れば万々歳である
一つの道具としての「ChatGPT」
何にどう使うか、そして使い手がどう判断するか
素晴らしい道具が「宝の持ち腐れ」にならないよう精進したい
このシリーズを当ブログのカテゴリー「テキスト型AI」として追加し
成長と失敗の記録を整理し継続してみる
テキスト型AI「ChatGPT」とは少し分野は違うが
また試しに「今日はこんな気分だからブログを書いて」と頼むと
すぐに原稿を提示してくれた(驚きである)
今は少し違和感があるが、数年後某のブログ情報がデータベース化され
某の心情・行事情報・季節情報などにより「こんなんできました」と
そんな時代が来るかもしれない
しかしそれでよいかは別問題「味があるのはどっちだ」
これはこれからも自問自答しつつ、記録を重ねていきたい
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